目的と手段について考える
このテーマについては検索すると山ほど見つかるが、筆者なりの経験談を交えて記載しておこう。
最近は海外の人に道を聞かれる機会が増えている気がしており、
この前は近くのコーヒーショップに行きたいので道を教えて欲しいと尋ねられた。
「日本語は少し・・・」と片言の日本語+英語だった為、こちらも英単語を並べて応戦したのだが
この時ほど英語を喋れたらかっこいいのに!と思った事はない。
さて、よく英語が喋れたらかっこいいから英語を勉強したい!
と思うシチュエーションはあるかと思うが、間違えないようにしたいのは、
ここでの目的は「海外の人から英語で話しかけられたらかっこよく英語で返す」のが目的であり、
「英語を喋れるように勉強する」のは手段だという事だ。
英語のような会話言語だけに限らず、プログラミング言語にも言える事だが
何か新しい言語を覚えたら仕事の幅が広がるんじゃないか、とか
親しい人が新しく言語の勉強を始めたらしいから自分もやってみよう、とかであると
「言語を覚える事」というのが目的となってしまいがちで
実際にそれを活用するビジョンがないと、習得するまでに至らない事が多いように思う。
「○○したいから、その為に××言語を覚える」の形にすべきだ。
入門書に沿って命令語を覚えていくのも悪くはないのだが、
最終的にその言語を使って何をしたいのか、それを見据えて勉強していきたいと思う。
そういった意味では、英語を覚えた場合の活用ビジョンは全く見えていないので、
目的として何か見つけていければ良いのだが・・・